平和な日々
大分間が空いてしまいましたが、なんとか生きております。
最近は平穏な日々が続いており、心が乱されることも落ち込むことも少なくなりました。特に何かがあったわけでもないのですが気持ちは落ち着いています。
6月下旬頃には、猫を拾いました。家の近くで鳴いていたのを保護したのです。拾ったばかりの頃は体が小さく耳と手足ばかり目立ち、栄養状態が悪かったのか毛もまばら。最初に餌をあげた時に、うみゃあうみゃあと鳴きながら食べていたので、姉が「うま」と名づけました。
そんなうまも、今では大きくなり毛も模様がはっきりわかるようになり、すっかり家族の一員です。クレトは甘えん坊だなあと思っていましたが、うまはそれ以上の甘えん坊で、家族の後をついてまわり抱っこをせがみ、誰かがいないと鳴きだします。先っちょがほんの少しだけかぎしっぽになっているので、幸せを運んできてくれるかなあなんて考えたりしています。笑
あとは最近カウンセリングを受け始めました。5年くらい前にも受けていて、その時の臨床心理士の先生が再び担当してくれています。
その先生には「かなり経験をつんで成長したね!」と褒めてもらえました。
今後も続けていく予定です。
以上、近況でした。
パーティには新しい仲間が増え、最弱スライムだけを倒す日々でも経験値はもらえる。ラスボスを倒す日も遠くはないかもしれません。
中退と帰郷
大学は留年し5年生となり、ほとんど通わないまま中退することになります。
理由は、祖母の介護のため、としましたが私自身もう限界でした。
12月のことです。
この頃の記憶もあまりなくて周りの反応も定かではありませんが、中退を決めたあたりにS先生が、私が理解できずに困っていた講義の、翻訳のコピーを送ってくださって、ものすごく申し訳なく思ったことを覚えています。
たくさんの人たちが支えてくれて、協力してくれていたのに私は全てを無駄にしてしまったのだなと感じていました。
大学や夢を諦めきれない気持ちと、何もかも投げ捨ててしまいたいという気持ちがないまぜになって、苦しかったです。
地元には姉と一緒に帰りました。
祖母は、ガンがみつかり、母は働いているため誰かが介護する必要があったことは本当で、ここからは祖母の介護の日々が始まります。
それもつらい日々でした。
しかし、実家で暮らす毎日は、今まで負け続けていたうつ病に、反撃する機会をもたらします。
余談ですが、昨年の冬に倉庫で発見したショートブーツがほぼ新品で、誰のものか母に尋ねたところ、私が帰郷する際に履いてきたものだったらしく、覚えていないことに自分で驚きました。
二回戦
再びうつ病が悪化した時に、スクールカウンセラーのS先生を紹介してもらいました。
そしてS先生の勧めで、新しいメンタルクリニックに通うようになります。
S先生はとても優しく、親身になってくださって、遅れている授業の心配もしてくれました。
私はS先生を信頼していたし、面談に行けなくても怒りもせずにいてくれることがなにより嬉しかった。
なのに、S先生とたくさん話したはずの、内容が全く思い出せません。
唯一覚えていることは、ブックカバーを褒めてもらえたこと。
まだ体調が良かった時に、地元の親友と京都に旅行したことがあり、その際に蚤の市のようなところで買ったハンドメイドのブックカバーです。
自分で作った物でもないのに、褒められたことがすごく嬉しかったんです。
褒められ慣れていなかったからかもしれません。
そして新しいメンタルクリニックですが、私には合っていなかったのかもしれませんし、きっと私がいけなかったんだと思います。
この頃の私は、薬というものに依存し、薬が多ければそれがステータスになるような錯覚をしていました。
新しい薬をもらっては、某掲示板で調べて、自分はこんなにも病気なんだ!と喜んでさえいたように思います。
とある影響で、私はハルシオンを処方してもらいたくて寝つきが悪いと何度も繰り返し訴えていました。きっとクリニックの先生にはそれが分かっていたのでしょう。
ハルシオンをだしてもらえることはなく、その度に違う薬が増えていき、一回の量が15錠くらいになっていきました。
もうほぼ薬物依存です。もちろん朝は起きれないため大学には行けず、なんとかしようと夕方の5時には眠剤を飲んでみたりもしましたが、次の日のお昼まで寝てたりもしました。
これらは大学3年以降のことですが、この時には、上京してきた妹と東京で働いていた姉と三人で住んでいました。
寂しくはなくなったものの、私が常時正気ではないため呆れられたり怒られたり、責められたりもあって、それはそれでつらかったです。
ただ、私は二度目のODをし、姉妹にすぐに発見してもらえたのは幸運でした。
迷惑はとてもかけてしまいましたが。
二回戦目にもなると、敵もレベルアップしています。
ひとつのダメージも与えられないまま、時間ばかりが過ぎていきます。
嘘をついてはいけません
ボランティア活動に行けなくなった理由は、詳しく書くと罪悪感に襲われるので伏せますが、行けなくなったこと、嘘をついたこと、色んなことが私を襲い、うつ病が悪化しました。
多分、一番の原因は嘘をついた、ということです。
幼い頃、友達に「今あの窓にお化けが見えた!」という嘘をついたことがあります。
今思えばかわいらしい小さな嘘ですが、その日の夜は嘘をついてしまったという罪悪感で寝られず、泣いて泣いて母に謝りに行きました。
「嘘をついてはいけません」
誰だって一度は言われるでしょう。親だったり、学校の先生だったり。
でも誰だって小さな嘘くらい言うし、平気で人を傷つける嘘を言う人もいるし、サプライズのために、なんてこともあると思います。
私にとって、言葉は呪いのようなもので。
ダメだと言われたことは、良くないものと認識し、それをすることはすなわち罪を犯すことと同義のようだと、今でも思います。
なので、学校をサボることは罪だし、過食嘔吐も暴飲暴食も罪だし、リストカットもODも罪だし、うつ病であるということ自体も私には罪深いことだった。
罪を犯し続ける私は、生きる価値が無いと、当時から今でも思います。
ニュースの特集で「私はごはんを食べる価値すらない」と言っているメンタルの病気の子が映った時に、母は「そんなことあるわけない」と笑っていました。
私にはその子の気持ちが痛いほど解った。
それと同時に普通の人には理解されないものなんだなと実感もしました。
罪を背負っているってなんか主人公っぽいな、と思いつつ、
その罪を赦せた時に、本当のゲームクリアになるのかなあと思いました。
ボランティア活動
そういえば記憶がないと散々言っていた、大学2年から3年の間、ひとつだけ努力していたことがあります。
ブログを書いていたら思い出しました。
大学の講義の一環で、児童養護施設に一年半ボランティアに行っていました。
学習ボランティアというもので、子どもたちに勉強を教えるのが主な仕事で、夕食を一緒に作って食べたり、イベントに参加していたりしていたんです。
他の講義には出られなくても、これだけは、と休まず通っていたことを思い出します。
子どもは好きだし、仕事も合っていたのかもしれません。
「大学卒業したらここに就職しない?」と言われたこともあります。
この講義の成績もほぼ優でした。
でも、自分では、他の人より劣っていることに気がついていました。
教授の質問に対する返答、レポートの文章、明らかに幼稚なものでした。
一学年下の子の論理的な回答を聞くたび、自分が恥ずかしかった。
真面目に大学に通っていなかったのだから、当たり前の結果です。
頑張っていたボランティア活動も、ある日行けなくなります。
うつ病との戦い、二回戦目が始まります。
たまには、
たまには暗い過去の話ばかりではなく、自分が癒されているものについて書いてみたいと思います。
一番癒してくれるのは、ペットであり家族の、犬のクレトです。
元々動物は好きで、過去に犬や猫を飼っていたこともあるのですが、犬は諸事情で他に貰われて行き、猫はなぜかいなくなることが多かったんです。
クレトは、姉がペットショップから買ってきて、もう13才になります。
すごく甘えん坊で、寂しがり、雷が鳴ると震えて離れなくなります。
食欲旺盛で、散歩が好きです。
犬は、与えた愛情以上の信頼と愛を返してくれます。
私がどんな見た目だろうと好きでいてくれるし、裏切るということもありません。
一緒になって寝てくれたり、感情豊かで、たまに怒ったり、悲しそうにしていたり。
でも名前を呼ぶと、必ず尻尾を振って駆け寄ってきます。
ごはんをあげた時に「おいしい?」と聞くと、尻尾で返事をしてくれます。
このブログを書いている今も横で寝ています。
私のパーティには、クレトという力強い味方がいます。
魔法や技だって使えちゃうんですよ。
現状
就職活動がうまくいきません。
最初に働いたところは、親の経営するブティックだったので、就活もなにもなく、具合が悪ければ休んでいたし、責任もなく、ほぼニートとかわりませんでした。
さすがにその状態を良くないと思った母に追い出されるように仕事を辞め、次に働いたのは市役所で、臨時職員としてでした。
面接の時には、うつ病であることは言いませんでした。
しかし、月一で病院に通わねばならず、具合の悪いときもあって休んでしまったり。
一応任期満了という形でしたが、7ヶ月で辞めてしまいました。
その次に受けた会社にも、病気のことは言いませんでしたが、面接で病院に通っていることだけは伝え、落ちました。
最近受けた会社には、初めからうつ病であることを伝えましたが、やはり不採用でした。
障害者手帳を持っていれば、障害者枠でとってもらえる可能性は高くなります。
手帳を持っていた時期もありましたが、一年で返してしまいました。
それに今は手帳を持つほど、自分は病気か?という思いもあります。
働かなければ生きていけません。
母から厳しい言葉を毎日のように言われます。
私はどうやって生きていったらいいのだろう。毎日考えます。
うつ病を倒すのにはゴールドも必要なのに、そのゴールドを得られない。
詰んでいます。